“音のない戦争”後世へ 富山の団体、聴覚障害者の証言映像化 (北日本新聞より)
富山市の手話サークル「とわの会」(塩見七恵会長)は、聴覚障害者たちが手話で戦争体験を語る姿を一つの映像にまとめた。富山大空襲や玉音放送、満州からの引き揚げ…。“音のない世界の戦争”を振り返り、平和の尊さを力強く訴えている。過去に撮影した映像を編集しており、亡くなった出演者も多い。企画した副会長の針山和雄さん(69)=富山市高畠町=は「後世に残していかなければいけない」とし、DVD作成などを検討している。(社会部・柳田伍絵)
針山さんは、富山ろう学校(現・富山聴覚総合支援学校)の教員を長年務めた。聴覚障害者の記憶を残そうと、過去に同学校であったイベントなどで撮影された映像を編集し約30分間にまとめた。戦争を振り返る手話での講演シーンや、企画に合わせて新たに撮った戦争体験者への若者のインタビューなどで構成している。
2011年に亡くなった富山市の男性は手話で、富山大空襲の体験と終戦を伝える玉音放送を語っている。
聴覚障害の妻と赤ん坊の3人で暮らし、大空襲の日は隣人に起こしてもらって逃げた。空襲を知らせてもらうため、家の鍵は掛けていなかった。松川に架かる桜橋の下に避難し、赤ん坊を抱きながら水に漬かって夜が明けるのを待った。
1945(昭和20)年8月15日の玉音放送は、何が起きているのか分からないまま、周囲に促されてひれ伏したが、後になって昭和天皇が無条件降伏を国民に告げた放送だと知った。男性は「本当に嫌な時代だった。戦争がない平和な世の中にしてほしい」と締めくくっている。
旧満州(中国東北部)に暮らしていた同市の女性は、引き揚げ体験を手話で語っている。6歳だった46年3月、混乱のさなかに引き揚げ船に乗った。弟のおしめに父の服を使い、3カ月ほど風呂に入れなかったという。
この女性も昨年亡くなり、戦争を体験した6人の出演者のうち4人が故人となっている。映像で自身の体験を振り返り、富山大空襲や戦争を語り継いでいる竹川秀夫さん(85)=富山市長江新町=は「当時を知る人が減っている。絶対に戦争を起こさないために、私たちの経験を伝えていきたい」と手話で語った。
今月9日、富山市今泉の市総合社会福祉センターで「とわの会」の活動があり、会員約20人が映像を鑑賞した。インタビューシーンで聞き手を務めた跡治宗一朗さん(33)=同市東中野町=は車いすで生活しており、「もし、自分があの時代に生まれていたら逃げ遅れたり、差別されたりしただろう。嫌だし怖い」。初めて映像を見た介護士の井上巴さん(28)=同市月岡町=は「健常者でも空襲は怖いのに耳が聞こえなかったら、どれほどだろう」と思いを巡らせた。
映像データは2015年にまとめて以来、イベントで数回しか上映していない。針山さんはDVDに記録することを検討。DVDを県内の聴覚総合支援学校に寄贈したり、他の手話サークルで映像を上映したりしたいと言い、「聞こえない人たちがどんな思いや経験をしたのかを多くの人に知ってほしい」と話している。
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