(フロントランナー)ろう者の牧師・郡美矢さん 人生の価値、歌や言葉で(2016/10/8朝日新聞の切り抜きより)
イエスは、生まれつきの盲人について語った。
「目が見えないのは、この人が罪を犯したわけではなく、両親が罪を犯したわけでもない」
生まれつき耳が聞こえないか、幼いころに聴力を失った「ろう者」。
親は「私が悪い?」と悩み、本人も「私が悪い?」と悩む。
だれも悪くない」とのイエスの教えに救いを求めるろう者に、満面の笑みでこう言ってきた。
「だれも悪くないどころか、すばらしいです。優れた視覚をもち、ふたつの言語を身につけたんですよ」
日本のろう者の第1言語は独自の文法を持つ日本手話。
あくまでも日本語は第2言語で、耳が聞こえる「聴者」にとっての英語と同じだ。
国際手話通訳者として、世界を飛びまわる。
本業の牧師では、広島市の「三滝グリーンチャペル」につとめる。
昨年までつとめ、いまも月に一度いく兵庫県豊岡市の「但馬神愛キリスト教会」では、光がでるドラムを使い、音楽が苦手なろう者たちと歌った。
その姿はいつしか映画「天使にラブ・ソングを…」の主演俳優と重ねられ、「但馬のウーピー・ゴールドバーグ」の異名がついた。
今、聴者の日本語が、とげとげしい。自分を卑下し、より弱い者を探していじめているかのよう。
昨年末に出した「あなたは見えないところで愛されている」(角川書店)で書いた。
「言葉には力があります。だからこそ、穏やかに話す人になりましょう」
今年、ろう者の劇団をつくった。
生きるのに苦しみ、自分を失ったすべての人に、「あなたの人生には価値がある」と伝えたいから。
アメリカの劇団で鍛えた芝居は、せりふがなくても分かる。
けれど、この夏、相模原市で、19人もの障がい者が殺された。容疑者が口にしたという「この世に障がい者はいらない」の言葉が心に突き刺さった。
「違う。価値のない人生なんてない!」
~~1,2面の続き
とある日曜の朝、広島市の「三滝グリーンチャペル」。
手話礼拝で、20人ほどのろう者といっしょに、賛美歌を歌った。
歌にメロディーはない。
それぞれの魂からほとばしる声が、まとまって風になる。
「この社会で、みんな『つらい思い』をしています。
だから、自由な心を、魂からの叫びを表現できる場所を求めています。
その一端が、この礼拝なのだと思います」
「つらい思い」は、たいてい、ろう者に向けた聴者の言葉や態度が原因だ。
たとえば、聴者はこんなことをしている。
ろう者が日本語として少しおかしな文章を書くと、「学校出たのか?」とバカにする。
言葉によるいじめをする……。
■12歳からの挑戦
郡さんの両親は、ろう者。
聴者たちは、娘がろう者で生まれたことを「仕方ないよね」と言った。
でも、両親は、娘につらい顔を一度も見せなかった。
母は、医者になりたかった。
でも、その当時、ろう者は医者になれなかった。
そんな悔しさをバネにしていた母のもと、負けず嫌いな少女に育っていった。
ろう学校の小学4年生の時、学校全体の勉強の遅れがイヤで、ふつうの小学校に行きたくなった。
母は小学校に転入を申し入れた。学校は拒否。
母は2年間粘り、学校が折れた。母は言った。
「すべて自分で責任をもつのよ、いいわね、美矢」
小6、12歳で、挑戦の日々がはじまった。
母は娘に厳しかった。
「ろう者はかわいそうじゃない。耳が聞こえないから仕方がないことなんてない」とたたきこんだ。 高校は徳島県有数の進学校へ。
何か一番になれそうなものはないかと探し、女子部員がいなかった柔道部へ。
「おまえならできる」という教師の励ましに支えられ、県の大会で何度も優勝した。
けれど、法律の壁だけは、どうしようもない。
薬剤師を夢見たが、当時の法律では、ろう者はなれなかった。
歯科技工士になる決意をし、高校を卒業して資格をとる。
ある雑誌にカナダで技工士を募集しているとあった。
英語がからっきしなことなど気にせず、22歳でカナダへ渡る。
■海外の発想知る
クリスチャンだった両親の影響で子どものころ信者になった。
ろう者教育と神学を学びたくなり、米国の大学に入った。
シカゴの貧困地域でボランティアの演劇をしたことがきっかけで演劇に目覚め、ろうクリスチャンの劇団に入り、世界各地で爆笑と喝采をさらった。
大学院を修了した2004年、イリノイ州の教会で牧師人生をスタートさせた。
海外で見たのは、社会で活躍するろう者だった。
医師、パイロット、弁護士、俳優……。
米国では、ろう者は、視覚に優れたすばらしい能力の持ち主とされていた。
スウェーデンでは、医師が、ろう者を産んだ母親にこんな言葉をかける。「おめでとうございます。お子さんは、ふたつの言葉を持って生まれました」
日本の社会を思い出した。ろう者であることに、本人と親が劣等感をいだいていることが多い。
医師は、母親にこんな言葉を浴びせる。
「お子さんは、残念ながら耳が聞こえないようです」。
ろう者が活躍できる社会にする手伝いをしたい――。
06年に帰国した。
牧師らしからぬサービス精神いっぱいに、歌って笑う。
「多くの方に出会い、いっしょに笑ってきました。ろう者に生まれなければ味わえなかったプレゼントです。ろう者に生まれて良かった」。
落ち込むこともある。
でも、一日寝て、スパッと忘れることにしている。
ろう者の輪ができると、物語や小話を披露する。
たとえば「ろう者版シンデレラ」。
シンデレラが城に残したのは、はめると自然に手話ができる長い手袋。
ろう者の王子様は、その手袋がぴったりの女性を探し、シンデレラをおきさきにした、とさ。
これを、一人芝居で演じると、ろう者たちは笑顔、笑顔である。
郡さんと20年越しのつきあいで、今回の取材で手話通訳をしてくれた土屋徳子さん(49)は、言う。
「ろう者は劣っていないと訴えても、社会も本人たちも、なかなか受け入れてくれない。郡さんはもどかしさを感じているはずですが、そんな思いも含めて、ろう者であることを楽しんでいるように見えます」
「一億総活躍社会」というのなら、ろう者だ聴者だといった区別なく、すべての人が、たいせつな存在であるはずだ。
なのに、下を向いている人が多い。
「自分は弱い人間だ、だれかの助けが必要だ、と認めましょう。
思いつめた心が解放されます。
限られた人生です、思う存分、楽しみませんか」。
きょうもどこかで、心優しい手話とともに笑顔を振りまいている。
(文・中島隆 写真・竹花徹朗)
★1970年、徳島市生まれ。米国の大学で神学を学んだ。シカゴの貧困地域でボランティアを重ね、ろうクリスチャン劇団の一員として世界をまわる。2004年にイリノイ州の教会で牧師になり、06年に帰国。手話の聖書をつくる「日本ろう福音協会」の理事でもある。
* こおりみや(46歳)
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