(ひと)田岡克介さん 全国手話言語市区長会の初代会長を務める北海道石狩市長(2016/10/8 朝日新聞記事の切り抜きより)

手話がひとつの「言語」であることを明確にし、様々な施策を進める「手話言語法」の制定を求め、全国各地の市区長250人が6月、一丸となって動き出した。

その先頭に立つ。

「手話には独自の文法、語彙(ごい)がある。日本語の他に手話がある多言語の国で、ろう者があらゆる場で手話を使って暮らせるよう法整備がどうしても必要なんです」

助役から市長になった石狩市で2013年、市町村としては初めて手話基本条例を制定した。

市内では多くの小中学校が手話について教えるなど先進的な取り組みが続く。

「これから地域社会がどうなっていくか。楽しみだね」

手話へのこだわりは、5年ほど前に市民との懇談で条例を求める声を聞いてからだ。

「それまで深く考えたことがなかった」

国学院大の学生時代に聴いた言語学者・金田一京助の授業が、突然よみがえった。

明治の同化政策で使われなくなっていったアイヌ語の研究に傾注した金田一は、民族にとっての言語、母語の重い意味を熱く説いていた。

「あの『DNA』がなければ、手話と聞いて、すぐに反応できたかどうか」

6年前、腎臓病の悪化で妻から移植を受けた。

さらに脳梗塞(こうそく)も乗り越え、腰椎(ようつい)の手術も受けた。

満身創痍(まんしんそうい)だが、法制化へと前進させることが、金田一の薫陶を受けた一人としての宿命に思えてならない。

(文・秋野禎木 写真・白井伸洋)


田岡克介 たおか・かつすけ

昭和20年10月11日生まれ、石狩市出身

昭和43年3月国学院大字文字部卒業

石狩市助役から1999年(平成11年)に市長へ。

2015年5月、無投票により5期目の当選。