「ろうあ者運転免許取得運動」が出来たきっかけ、またその流れなどを、分かりやすくまとめてみましたので、どうぞゆっくりとご覧下さい。

「ろうあ者免許取得運動」

この事を知らない人もいるかな?と思い、まとめてみました。

※かなり長文で読みづらいかと思いますが、なるべくわかりやすくしました。

ろうあ連盟のHPから

ろうあ者の運動の成果 運転免許 1968(昭和43)年に運転免許獲得第運動を大規模に展開し、国がろう者にも免許取得の是非について検討を始めるきっかけをつくりました。
その結 果、1973(昭和48)年に補聴器装着を条件とした警察庁通達をかちとりました。また、2006(平成18)年4月に「2年後に道路交通法を改正し、全 く聞こえない方にも運転免許がとれるようにしたい」と警察庁が発表しました。運転免許獲得運動は大きく前進しています。 【運転免許を取得したろう者の声】 長い悲願が達成された。仕事も幅広く出来るようになったのでとてもうれしいことです。 


NHKの「ろうを生きる難聴を生きる」のダイジェストから

運転免許裁判 (問い続けた70年の中の1つにあります。)

かつて、聴覚障害者には運転免許が認められていませんでした。
免許の試験では補聴器を使うことも許されませんでした。
当時の道路交通法88条では免許を与えない例として次のように記されています。
「耳がきこえない者又は口がきけない者」
この法律に異議を申し立てたのが中途失聴者の樋下光夫(といしたみつお)さんです。

なお、樋下光夫さんは、2015年10月21日に岩手県盛岡市で74歳で逝去されています。


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以前の道路交通法88条には何が書かれていたのか?

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第88条 (免許の欠格事由)

次の各号のいずれかに該当する者に対しては、第一種免許又は第二種免許を与えない。

一 大型免許にあつては二十歳(政令で定める者にあつては、十九歳) に、普通免許、大型特殊免許及び牽引免許にあつては十八歳に、 二輪免許、小型特殊免許及び原付免許にあつては十六歳に、それぞれ満たない者 (精神病者、精神薄弱者、てんかん病者、目が見えない者、耳がき こえない者又は口がきけない者)

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そのため、1973年まで聴覚障害者は 運転免許を取得することは出来ませんでした。

運転免許裁判は、ある聴覚障害者が被告になった事件が始まりです。

その様子は

ろうあ者 手話 手話通訳 : 松本晶行 文理閣

に詳しく書かれています。

1967年のこと。

岩手県在住の樋下さん(当時25歳)は、補聴器をつければ少し聞こえる程度の聴覚障害者。

仕事で、色々な所に行くために車かバイクが必要でした。

しかし、聴覚障害があるため 運転免許試験を受けても、たったそれだけで落とされます。

そこで、無免許でバイクを乗ることになります。当然、警察に見つかれば罰金を取られます。

そして、何回も取られるうちに、警察に顔を覚えられてしまいます。

そのうちに、樋下さんはこんな事があってはならない!と思うようになり裁判を申し立てます。

◆試験に落ちるのは聴覚障害があるだけで、技術的な問題はない。

◆過去に切符を切られたのは無免許運転だからであり、運転が危険なわけではない。

◆仕事上、運転免許が必要なのに取れないのは差別である。

◆もし、免許が取れないなら、国はそれなりの保障が必要だと思うが、そんなことは全くない。

などの主張を掲げました。

と、ここまで書きましたが、、、 

分かりやすく経緯を書いておくと、こうなります。

1967年(昭和42年)12月28日

「1967年昭和42年7月13日~11月6日までの間に、運転免許を受けないで、自動二輪車を運転したことで、道路交通法六十四条に違反する」と言うことで、盛岡地方検察庁より盛岡裁判所に起訴された。

1968年(昭和43年)3月10日

全日本ろうあ連盟常任理事会では、樋下個人の名で起こされた裁判を聾者全体の問題として捉え、全面支援と強化の為、ベル会館に「運転免許裁判運動推進中央対策本部」と設置することを決める。

1968年(昭和43年)3月15日

運転免許裁判第一回公判が盛岡地方裁判所で開かれる。

一審、二審と樋下さんら原告は、敗訴しました。

しかし、それでも諦めずに裁判を申し立てている中、

1973年(昭和48年)8月

警視庁は、補聴器を使用する聴力検査を認め、事実上、運転免許を認める通達を出した。

これは道路交通法施行規則第23条に規定されている適性試験に補聴器の使用を認めるものでした。

この時から、10m離れて(90デシベルの音)クラクションが認識できれば合格という運用的な変更で取れるようになりました。

2001年(平成13年)6月

道路交通法は改正され、道路交通法88条は削除されました。

これにより、法律上は身体障害による制限が外れ、試験の実施要項により免許が取得できるかできないかと言うことになりました。

しかし、施行規則23条での、「条件」においては変更されず、条件に満たされない人は免許取得出来ません。

道路交通法施行規則第23条
聴力
1.大型免許、中型免許、普通免許、大型特殊自動車免許(以下「大型特殊免許」という。)、牽引免許、第二種免許及び仮免許に係る適性試験にあつては、両耳の聴力(大型免許、中型免許、普通免許、大型特殊免許、牽引免許及び仮免許に係る適性試験にあつては、補聴器により補われた聴力を含む。)が10メートルの距離で、90デシベルの警音器の音が聞こえるものであること。
2.1.に定めるもののほか、普通免許及び普通自動車仮免許(以下「普通仮免許」という。)に係る適性試験にあつては、両耳の聴力が10メートルの距離で、90デシベルの警音器の音が聞こえるものではないが、法第91条の規定により、運転する普通自動車の進路と同一の進路及び進路を運転者席の反対側に変更しようとする場合にその変更した後の進路と同一の進路を後方から進行してくる自動車等を運転者席から容易に確認することができることとなる後写鏡(以下「特定後写鏡」という。)を使用すべきこととする条件を付すことにより、当該普通自動車の安全な運転に支障を及ぼすおそれがないと認められること。

2006年(平成18)年4月

警視庁が「2年後に道路交通法を改正し、全 く聞こえない方にも運転免許がとれるようにしたい」と発表しました。

2011年(平成23年)9月27日

全日本ろうあ連盟は警視庁に次のような要望書を出しています。

警察庁へ「聴覚障害者の福祉施策への要望について」を提出

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1968年(昭和43年)3月から始まった、「ろうあ者免許取得運動」が、いかに長い時間をかけて行われたか、、、まだまだ知らない人も多いかと思います。

2016年の今も改正されずにいます。

もし、樋下光夫さんが「おかしい!!不当だ!!」と訴えなければ、もしかすると今も「聞こえない」からと、いう理由だけで運転免許の取得が出来なかったかも知れません。

余談ですが、先日なくなられた加藤紘一 自民党元幹事長ですが、この時の運動で、国会議員として警視庁やあらゆる関係機関にろうあ者のために働きかけてくださったそうです。

そしてこのろうあ者免許取得運動が加藤氏にとっては【国会議員としての原点だった】と語ってくださっていたそうです。

また、加藤氏は手話も堪能で、手話での会話もできたそうです。

もし、加藤氏のような人がおられたら、他の問題も早く解決出来るかもしれませんね!

先日、お亡くなりになられた自民党元幹事長 加藤紘一氏は、「ろうあ運動」にも尽力された方でした。ご冥福をお祈りします。

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