先日、お亡くなりになられた自民党元幹事長 加藤紘一氏は、「ろうあ運動」にも尽力された方でした。ご冥福をお祈りします。

管理人からです。


先日、自民党元幹事長 加藤紘一氏がお亡くなりになりました。

これがきっかけで初めて知ったのですが、加藤氏はろうあ運動に力を貸して下さった功労者でもあるのだそうです。

例えば1973年、ろうあ者の免許取得が可能になったのですが、そのための運動は5~6年ほどかかったと言われています。

この時の運動で、国会議員として警視庁やあらゆる関係機関にろうあ者のために働きかけてくださったのが加藤氏だったそうです。

そしてこのろうあ者免許取得運動が加藤氏にとっては【国会議員としての原点だった】と語ってくださっていたそうです。

また、加藤氏は手話も堪能で、手話での会話もできたそうです。

恥ずかしながら、私は知りませんでした><  

ちなみに、2014年当時、自由民主党山形3区から加藤鮎子氏が出ておられますが、この方は加藤氏の娘さんだそうです。

当時、加藤鮎子氏が山形聴覚障害者協会からの聴覚障害者福祉政策に対する公開質問状への回答をした時の文が残っておりますので、それを引用させていただきます。  

こういう政治的背景ももっと知っておかないといけませんね・・・。  

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ーーーー引用ーーーー
○山形3区 自由民主党 加藤鮎子氏
父・加藤紘一は、衆議院議員に初当選した40年前、聴覚障害者の方々との運転免許取得のため国会で尽力いたしました。
「国会議員としての原点だった」とのこと。
私は加藤紘一の娘として、改めて聴覚障害者福祉施策に取り組んで参ります。
特に情報アクセシビリティ及び意思疎通が保障される権利は、障害をもつ人にも、もたない人にも平等に適用されるべき基本的人権と考えます。
したがって法律により国・地方自治体の責務として施策を整備して参ります。

「ろうあ者免許運動」が出来たきっかけ、またその流れなどを、分かりやすくまとめてみましたので、どうぞゆっくりとご覧下さい。