障害者差別の解消に向けて ~みんなが手話で話した島~ 朝日新聞2016/4/22より切り抜きです

障害者差別の解消に向けて ~みんなが手話で話した島~

 ■まず本人に聞いてみよう

 4月1日に障害者差別解消法が施行された。これは日本が2014年1月に批准した国連の障害者権利条約(以下、権利条約)にあわせて整備された国内法である。従来型の差別禁止に加え、「合理的配慮の提供」を公的機関の義務(民間は努力義務)とした点が大きな変化である。考え方も障害を個人の属性と考える「医学モデル」から脱皮し、障害は一部の個人の社会参加を阻む社会の側にあるという「社会モデル」を取り入れている。本稿では、これらの言葉の意味を考えながら障害問題を読み解いてみたい。

 内閣府は、「合理的配慮の提供」をつぎのように説明している。公的機関や民間事業者に対して「障害(しょうがい)のある人(ひと)から、社会(しゃかい)の中(なか)にあるバリアを取(と)り除(のぞ)くために何(なん)らかの対応(たいおう)を必要(ひつよう)としているとの意思(いし)が伝(つた)えられたときに、負担(ふたん)が重(おも)すぎない範囲(はんい)で対応(たいおう)すること(事業者〈じぎょうしゃ〉に対〈たい〉しては、対応〈たいおう〉に努〈つと〉めること)」。視覚障害者がいるとき、発言の前に「○○です」と自分の名前を付ける、聴覚障害者と話すとき、ボードを用いて筆談に努める、といった配慮が第一歩となる。

 障害の「社会モデル」はゲーム理論の研究者である私が取り組んできた「慣習と規範の経済学」の考え方と響き合う。慣習や規範はそれに従う人が増えれば増えるほど、それに従うことが本人にとって望ましいものとなる、という性質を持っている。みんなが右側通行をすれば、自分も右側通行をすることが望ましい、というわけだ。その原理に基づいて、私たちの社会を見つめ直してみよう。

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 社会は人のためにできている。しかし、全ての人が使いやすいように作られているとは限らない。社会生活にとって不可欠のコミュニケーションも、声を出せて音が聴こえる人々が多ければ、口話言語が用いられる。すると、音が聴こえない少数の人々は話の輪に入れず、配慮されないまま取り残される。

 しかし、実は口話言語が社会の基本言語だという考えすら相対的なものである。ノーラ・エレン・グロース著「みんなが手話で話した島」(築地書館)は、「障害」に対して社会の側が適応した事例を紹介する。

 19世紀、遺伝性のろう者が多かった米国マサチューセッツ州沖合のマーサズ・ヴィンヤード島では、手話が主要言語であった。言語は、みんなが使うものを自分も使う。この島ではろう者は言葉が話せない「障害者」ではなく、「ふつう」の人であり、耳が聴こえないことは単に個人の個性の一部に過ぎなかったという。

(後略)

松井彰彦「障害者への「配慮」 まず本人に訊いてみよう」(朝日新聞 2016年4月22日)

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