斉藤道雄『手話を生きる 少数言語が多数派日本語と出会うところで』朝日新聞 2016年5月1日より切り抜きです

「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」

(中略)

 ろう者の間で自然発生し、長い時間をかけて完成した独自の言語であるこの手話は、ろう者の言語教育の中で、使うべきではない劣った方法として、徹底して抑圧されてきた。なぜなら、日本語ではない以上、日本社会では通じないから。

 1世紀近くにわたって主流だったのは、口話法だ。聴者(耳の聞こえる人)の口の形を真似(まね)ながら発声を学び、日本語の読み書きを覚える。耳の聞こえない人が、聞こえるという前提に無理やり合わせさせられる苦痛と屈辱は、軽い難聴の私でもしばしば経験する。

 この結果、言語の発達期である幼少期に十分な言語能力を身につけることができず、思考力認知力に問題を抱えたまま大人になるケースは多いのだという。

 この失敗を受けて手話の導入が始まるのだが、主流となったのは日本語対応手話だった。ろう者からすれば、情報のやり取りはできても、細かな感情やニュアンスを表現はできない、不完全な言語である。ここでもまた、聴者目線の日本語前提が立ちはだかった。

(後略)

星野智幸(小説家)・書評『手話を生きる 少数言語が多数派日本語と出会うところで』斉藤道雄〈著〉(朝日新聞デジタル 2016年5月1日)

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