小学部~高等部の思い出 コラムNo3 (Reem Mohamedさん)

ろう学校のことを、法令上では、特別支援学校というが、その名称をつけない学校もある。

ここでは、混乱をさけるためにも、「ろう学校」で記述する。

                   ※漢字では「聾学校」と明記する。

ろう学校には、幼稚部、小学部、中学部、高等部、「高等部の専攻科」があり、入学資格はそれぞれ幼稚園、小学校、中学校、高等学校、「高等学校の専攻科」に準じている。

国立・公立・私立の聴覚障害者を対象としている、ろう学校は全国で106校ある。

さて、私のことを書こう。

私が小学部に入学した時、普通の小学校へ転向した同級生もいたのにも関わらず、ろう学校の中で一番人数が多い学年として注目されたような気がする。

小学部でも、相変わらず発音の練習や聞き取りの練習などは続き、一般の小学生が文字を書いて覚えていくとか、算数の勉強をしていくとか、そのような勉強が全くなかった。

2年か、3年の時だったと思う、私たちの親が集まって先生たちに強く抗議をしたらしい。

私たちの親は、親同士での団結力も他の学年の親よりもとても強かったと思う。

そして、自分の子供ではないのに、同級生が発音が悪かったらその都度、「今の発音悪かったよ?もう一度「さ」って言ってみて?」とかそういう注意をしてくれる親もいたから、それだけ、子供たち全員が自分たちの子供という気持ちも強かったのだろう。

先生たちの中に、ろう教育に熱心か、その専門の知識をもっている先生が全くいなかったというのも、あるかもしれないが、親たちはものすごく怒ったということを成人してから知った。

先生たちも、親たちの剣幕に驚いたらしいが、何のために「先生」になったのかを改めて考えさせられた日でもあった、と教えてくれた。

私たちは、そんな事があったとは露知らず、ある日、いきなり教科書を机の上に開いて普通に国語、算数、理科などの勉強が始まり大変戸惑ったものである。

しかも、ベースも早くあがるから、どこかで誰かが内容が全く理解できずに取り残されてしまったということも、何回もあったと思う。

でも、突然だったし、それぞれ理解できるスピードが違うわけだからマイペースな人は大変だっただろうなと、今も振り返ってそう思う。

小学6年になると、当然中学部への進路を考えるわけだが、その時にもう中学を出たらどうしますか?という話もあった。

私が、小学部にいた時、高等部は木工と被服という専門の学科しかなかった。

小学生ながら、なんでこの学科しかないの?嫌だ!そんな学科行きたくない!!と思っていた。そして、出来たら、大学にも行きたいなと密かに思っていた。

中学部にあがると、部活にも入らないといけない、授業のスピードはあがっていく一方で、内容もますます難しくなってくるし、本当に学校へ行くのも憂鬱だったと思う。

私は、国語、英語、社会(歴史、公民)はかなり得意なほうだったけど、数学がとても嫌いで数学なんか無くなればいい!と本気で思ったことがある。

中学2年の時に、同級生みんなで「普通科」を作ってもらおう!ということで先生、校長先生にお願いをした。中学3年の秋だったと思う、教育委員会から許可が出て「普通科」ともう一つの学科が新設され、木工と被服はもう一つの学科に一部移行された。

こうして、高等部受験は「普通科」の第一期生を目指して受けたのだが、そのあとは本当に色々な意味で大変だったと思う。

大学や専門学校などに、(私がいた)ろう学校からは誰一人として出たことがなかったから、みんな本当に大丈夫なのか?これで、大学にいけるのか?など色々な事を考えていたと思う。先生たちの中にも、大学なんて行けるわけがないよ!という人もいたから、それだけ未知の世界だった。

そして、校長先生が密かにお願いしてくださったのか、教育委員会の方が配慮してくださったのか、それはわからないが、県内の進学高校から何人か先生が転勤してこられた。

今まで、会ったことがないタイプの先生ばかりで、先生たちの方もろう学校に初めて転勤になってお互いに動揺したと思う。

普通の進学高校に通われた人なら、分かると思うが、中学部であれだけ苦労したスピードが更にアップして、気が付けば15ページ以上も進んでいるからうかうかしていられなかった。

私はと、全国模試の成績が悪かったりして先生に呼ばれて怒られるということも一度や2度ではなかったと思う(笑) 特に、数学でどうしても成績があがらず、ひそかに塾に通っていた。中間テストや期末テストなんて、本当に地獄だと思った。

試験前の勉強をサボって、どっかへ遊びに行くとよく母と喧嘩になっていたが、父には、いつも「頼むから0点取ってくれ!0点取ったら、何かいいものをあげるからさ!!」と言われたものだった。(苦笑)そういわれると、俄然やる気が出てくるものだった(笑)

娘の性格を良く知り尽くした上での、父なりの励まし方の仕方だったとは思うが、実際に言われる方は悔しいのである(笑)

私の幼馴染の何人かが、県内でも有名な進学高校に通っていて東大とか京大に行くためのコースを選択していたので時々、ノートを見せてもらったことがあるが、本当に変わらない内容だったから、今でも我ながらよくついていけたな、、、と思う。

2年の時には、何回も相談して志望の大学を決めて、3年には泣いても笑ってももうこれが最後だという気持ちで大学受験に臨み、合格し、そのまま志望の大学に進学しました。

長くなりましたが、「夢」を叶えるためには私の場合、本当に環境や多くの人たちの支援があってこそ、出来たものです。

大学に行く人が今までいないのに、、、というその壁を打ち破ってくれた当時の先生や校長先生には感謝しても感謝しきれない気持ちでいっぱいです。

ところで、余談ですがあれほど大嫌いな数学や物理や化学にもう関わる事はない!と思っていたのに、今はそれらが必要な仕事に就き、本当に人生とはわからないものです(笑)

高校時代に、もっと真面目に勉強すればよかったと後悔することもしばしばです(笑)

「ろう教育」における私個人的な考えも含めて コラムNo4